違う見方

複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

人生下り坂最高!

持って生まれた特別な身体的な能力や、努力や頑張りで身に付けた身体的な能力を、武器にして世渡りをしてる人達がいる。

 

プロスポーツやオリンピックのように高度な競い合いの場が設けられてる分野やサーカスやその他興行として成立してる分野で活躍する人々だ。

 

身体的な能力を武器に生きている人々が引退を余儀なくされる時、そこには病気やケガや老化が関係することが多い。

 

ごく自然に発揮されていた能力自体が、無自覚な無理の積み重ねを生んでいたような場合もあるだろう。

 

今日のエントリーは、次の記事に刺激されて思ったこと。

 

 

エスパー伊東が芸能界引退、股関節の状態悪く「うまく歩けない」

引退の理由について「かねてより股関節の状態が悪く、ここに来て動かすことが困難になってきました」と説明。「ワザを披露できない、うまく歩けない。このような最悪の状態の中で芸を披露することはできないと思い、引退を決めました」と明かした。

 

 

 

次も女性で、しかもアメフト。

 

 

リンク先のTogetterにはこう書いてある

 

アメリカでは年齢はナイショにしているヒロコさんだが、アメリカの大学から研究依頼がきたほど体力は衰え知らず

 

 

 

 

『老いを感じない』、コレが決め手なんだろうな。

 

また、潜在的な老いを顕在化へ加速させるものに病気やケガがあるとも言えそうだ。。

 

 

人は、老化とどう折り合いを付けて生きているのだろうか?

 

 

 

心身の劣化や老化はナニがキッカケになるのだろうか?

 

物理的に身体に顕在化する問題は、なぜか哲学的でもある。

 

 

老いが身体能力に現れた結果が積み重なると、

 

 

数値化されたり、客観化されると、衰えるということは残酷に感じられる。

 

だからこそ、違った評価が求められる。

 

 

 

世の中が、若さを重視するようになったのは、忍び寄る老いからの逃避かも?

 

GoogleTrendsで検索可能な2004年以降で比較すると、

 

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この二つの言葉はまさに表裏一体だと感じられる。

 

 

若さとは、持っている時には無自覚で、失い始めてあるいは完全に失ってから気付くことが多い。

 

だからこそ言えるのが、人生は『若さ』を失ってからが本番と言えるかもしれない。

 

はっきり自覚的な意識を持って生きることは、人生の後半かもしれない。

 

 

 

 

失うものは若さだけとは限らないが、失った人よりも持ってる人の方が、何かを失ってることがある。

 

 

失ったら戻らない代表格として「老いや老化」を考えてみたが、上記の文にも何度か出てくるが、失ったら戻らないものに対処することは、『折り合いをつける』という表現が非常に相性が良いと思える。

 

だから、意識したいのが、

 

『人生下り坂最高!』

 

NHKBSの「こころ旅」の火野正平さんの得意のセリフだ。

 

 

無理をするわけでもなく、過度に頑張るわけでもなく、だからといって何もしないわけではない。

 

適度にほどほどに!