違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

『経済回す派だから』という免罪符

緊急事態宣言下にも関わらず、あるいは自粛が必要にも関わらず、外出する人出が多いと報道する場合の定点観測的な場所は渋谷や銀座が多く、通勤時にフォーカスする場合は品川駅、帰宅時だったら新橋駅が多く、休日だと最近は鎌倉が取り上げられるような印象が強い、個人的には。

 

おそらく、報道する側の立場として、意図に沿った映える映像が撮れる歩留まりが高い場所だと認識してるからだろう。

 

密を印象付けるような報道での、通行人や観光客へのインタビューでの回答で多いのが『自粛に疲れた』と『経済を回したい』だと感じられる。

 

いずれもGoToトラベルが意識付けに影響してるのだろう。

 

日本は、国を挙げてお金を補助するから旅行してくれという国であることに対して、中国は春節の大移動の時期だが、帰省や旅行に行かずに過ごした方にお年玉を配るらしいと伝えられている。

 

日本人は貯蓄の民だというのが通説だったが、いつの頃からか浪費と贅沢の民の比重が大きく増えてるように感じられる。

 

別の言い方をすると、浪費と贅沢に経済が依存するようになっているのだ。

 

さらに、貯蓄派の一部と浪費派の一部が投資派に分かれて三つの層が出来てるように感じられる、あくまでも個人の印象。

 

 

浪費派でも贅沢派でもない存在を堅実派と呼ぶならば、全部で四種類が存在することになる。

 

  • 浪費派

 

  • 贅沢派

 

  • 投資派

 

  • 堅実派

 

 

さて、そろそろバレンタインデーだが、今年はコロナのせいでテレワークも進んでいることや日曜であることも影響し、また手作りチョコ派の方がチョコに飛沫が混入してはいけないからという理由で手作りしないからという理由で義理チョコ市場が大幅に縮小しているらしいと報道されてるのを見た。

 

バレンタインの義理チョコ市場にも上記であげた四つの派がそれぞれに目的を持っているように感じられるが、それぞれの派がコスパを考えると今年は義理チョコはしないと選択してるような気がする。

 

つまり、義理チョコという形では経済を回す気はないということだが、バレンタインデーを楽しみたいという空気は衰えてないらしい。

 

 

「義理チョコをやめて、コンビニで高級チョコ」コロナ禍バレンタインの大異変 2/11(木)

人気の高いチョコ専門店や百貨店まで買いに出掛けるのを控え、インターネットでの購入者が増えることは安易に予想できる。だが、イベントのピークによくある「バレンタインムードに押されて、急にチョコが食べたくなった」といった“衝動買い”に応えようとすると、配達に時間のかかるネット購入はやや難しい。 そのかわりに、「近所にある」というメリットを持ったコンビニチョコの出番が増える可能性が高い。現に、外食自粛やリモートワークの継続など、ストレスフルな新生活様式の中で、コンビニスイーツの売り上げは好調だ。身近な“癒やしアイテム”として定着した感がある。

 

 

 

GoToキャンペーンがなぜ機能したのかというと、直接的には割引が効くというお得感だろうが、それ以上にあるのが、あえて取り上げられないが、キャンペーンを使えば自粛の免罪符になるという大義名分が与えられることにあると感じる。

 

 

自主的な自己判断で行動すると自己責任が付いて回るが、そこに免罪符や大義名分が立つならば自己責任は問われない。

 

そんな免罪符としての地位を得ようと頑張っているのが『経済を回そう』だ。

 

まだまだ免罪符の地位は確立できてないが、浪費派や贅沢派の心を刺激してそうだ。

 

投資派は、事態の推移を見ながらタイミングを窺っているだろう。

 

堅実派は冷めた目で見てるだろう。

 

 

さて、『経済を回そう』という声が純粋な消費者の立場であるエンドユーザーから上がっているなら問題はないが、実際にはどうなのだろうか?

 

 

浪費派や贅沢派の中には、お金を持ってようが持ってなかろうが欲しいものは欲しいという欲求が止められない人がたくさんいるらしい。

 

堅実派にはよく分からないのが、買い物でストレスを発散するということのはずで、むしろ買い物はストレスにすらなるだろう。

 

また、浪費と投資は背中合わせの似た者同士でもあるのは、投資に付き纏うギャンブル性のせいだろう。

 

このように考えていくと、コロナであろうとなかろうと浪費派や贅沢派は動いているはず。

 

鳴りを潜めているのが堅実派とギャンブラーではない投資派。

 

もちろん、コロナが与えた経済的なダメージが最も大きい理由なのだろうが。

 

 

『経済を回したい』と思う気持ちにはネガティブなイメージは薄いが、声が大きいのは決してエンドユーザーではない国や自治体などの博打で言うところの胴元や胴元の息のかかったところからに見える、つまり国を挙げての貧困ビジネスのキャッチコピーが『経済を回そう』に表れていると感じる。

 

 

『わたし、経済回す派なんです』とテレビで答えてる人を見ていて、『踊らされてるなあ〜』と思う私がいた。