インターネットの普及で、コンテンツは無料(フリー)だという意識が社会に定着して久しい。
本や雑誌が売れない背景には、お金を払うに値するのかという葛藤が常に付きまとい、買って失敗したなと思わされた場合の悔しさは大きい。
そんなユーザー側の変化は、コンテンツ供給側も同じらしい。
日本の出版社、Webニュース、放送局は、業務を依頼する場合に、報酬を提示しなかったり、異様に安い金額で依頼することがよくある。しかもただ働きさせるのが得意だが、それは働く側の恨みをかって、取り返しがつかないことになるのを理解していない
— めいろま「世界のニュースを日本人は何も知らない3」発売中 (@May_Roma) 2022年4月14日
最近のテレビでは一見取材風の番組だが、実際には紹介されてる店や企業がお金を払っているというケースが増えてるらしい、見てると気配ですぐに察せられるが。
ボランティアも交通費や滞在費だけでなく食費も自腹を切らせるのが日本流。
この歪な需要と供給の関係には騙した騙されたという関係性だけではない、裏読み深読みの欲も絡んでくる。
メディアに登場できることは良い宣伝になると慰めたり、ボランティアをアピールすることで履歴や経歴を映えさせられるという下心と、世の中甘くないなという達観が入り交じる。
タダ乗りされるのは誰でも嫌だが、そこに感謝など感情的な交流があれば印象は変わるのだが、タダ乗りのベテランはそんなことはお構いなしだ。
だからだろうか、タダ乗りされた人は復讐するかのようにタダ乗りしたがるように見える。
無料のフリーが増えたことは、タダ乗りしないと損だという価値観を芽生えさせ、その展開には決してタダではない怪しげなコンサルが背後にチラつくことが少なくない。
ポイントもタダ乗り気分を煽るのに一役買っているように感じる。
出張で使った飛行機のマイルが個人に付くというのもまさにタダ乗りだ。
タダ乗りを喜ぶ習慣は、見えない誰かの恨みでいつか倍返しの目に遭うような気がする。