ふと7年前のことを思い出した。
〜〜その時の状況〜〜
突然の体調不良が発生。
基本自力で解決したいと思い3ヶ月ほど日常生活を継続しながらいろいろ足掻いたが、自力では解決不可能との結論に至り病院に行くと、腎臓の機能が極端に低下してると判明。
即入院を勧められ大病院への紹介状も出された。
これは長引くぞと少々身辺を整理する必要があるなと覚悟し実際に入院したのはその2ヶ月後。
発生してる不調の原因が分からないため全身の検査が連日続いた結果、そもそも心臓の拍動がとても弱くなってると判明し、これでは全身に血液を巡らせることができないので、症状は腎臓に集中しているが、この後どこがおかしくなっても不思議はないと治療の中心が腎臓から心臓に移った。
医者の目からも原因は不明で、心臓そのものなのか血管に起因してるのかを探るためにカテーテル検査をすることになった。
太ももの付け根の血管から管を入れ、心臓やその周りの血管の様子を探るという検査。
たかが検査だと思ったが、手術に相当するらしく同意書にサインする必要があった。
1000回に1件ほど検査中の大量出血で死亡する場合があるとの説明。
〜〜説明ここまで〜〜
確率0.1%というのは元気な人だったら自分の身には起きないと思うだろうが、不調な人には『ああ、自分の身に起きるな』と思えるのだ。
ちょっと前置きが長くなったが、この時に同意書に向かい合った時の気持ちが思い出されたのだ。
サインして検査をしたら死ぬかもしれないが、検査しなければ原因も分からないし、すでに健常者からはほど遠い状態になっていたので、サインをしてもしなくても心は穏やかではいられないという状態だった。
ちなみに検査の結果は心臓周りの血管には問題はなかったので、この際に心臓の心筋を一部切り取って大学病院に検査に回すことになった。
とんでもない難病かもと脅かされ、数ヶ月後に再度入院してもらうかもしれないが現在は安定してるからと退院し、2週間に1回の外来検査をすることになった。
体調不良を最初に感じた頃は体重90kgほどだったが退院時には58kgになって筋肉もゴッソリと落ちていた。
カテーテル検査の同意書と向かい合い、自分には選択肢は結局一つしかないと悟った時の気持ちは、覚悟というよりは諦めに近く、体調の不調に抗うというよりも、不調を受け入れることのように思えた。
退院して2ヶ月後、これまた原因不明だが拍動が元に戻った。
その後は順調に回復し、体調不良になる前より元気になったくらいだ。
元気になると自然と抗うのが人間だ。
抗うのは現状の自分や自分の環境に対してが多いだろうが、不本意ながらも受け入れるというのもアリなのかもと思い出したのだ。
ありのままを受け入れてなすがまま、他人の目から見れば何もしてないのとほぼ同じだが、本人の気持ちはその正反対だったりするものだ。
似たような表現は多い。
let it be
ケセラセラ
今年を総括し、来年への思いを新たにする時期だが、無意識のうちに抗おうとしてる人は多いだろう。
こんな時こそ、let it beやケセラセラを忘れてはいけないかも。