日常生活の中では嫌いな人のことを本人が目の前にいなければ呼び捨てにすることは大人の世界でも珍しくない。
周りで呼び捨てにしてるのを聞かされる人は、その人が呼び捨てにする人を嫌っていることをよく理解してる。
しかし、使い方のTPOを間違えると、バレるととてもみっともないことになる、これも多くの人が理解してることのはずだが、嫌いな人に敬称を使えない人はいる。
呼び捨てされちゃってる。
— 蓮舫🗼RENHO🇯🇵 (@renho_sha) 2024年6月14日
もしかして、私はそれくらい仲が良かったのかしら。 https://t.co/2hGDDcMCvq
蓮舫さん自身が言うように、呼び捨ては親しい者同士であればまったく違う伝わり方をする、日本語ってめんどくさいと感じる一方でこんな微妙さで決定的な印象を与える力があるのがとてもおもしろいと感じるが、これが空気を読んだり忖度の力だとすると喜んでばかりはいられない。
次も呼び捨てに該当するのだろうかそれともただのフルネームなのか。
粗品、「木村拓哉イジり」連発の理由語る あいさつ無視、身長ネタ...「良い芸見つけたなみたいな感じ」
「木村拓哉は1回、テレビ局ですれ違った時に、僕が立ち止まって目を見て『おはようございます』って言ったんですよ。ほんなら、木村拓哉が僕の目を見て(足元に目線をやり、再び顔を起こして目を合わせた後)どっか行ったんですよ」
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粗品さんのケースでは呼び捨てにする気持ちに共感するのはわたしが木村拓哉さんのことを好きではないからという気がするが、一般的には超有名人や圧倒的な大スターが大衆から呼び捨てにされるのは最大級の敬意の表れな場合が多い。
日本語を勉強中の外国人にはなんとも判りづらいだろう。
わたしごときでもブログに有名人を取り上げる時に、敬称を付けるべきか躊躇することがある、無条件に付けることが無難だと思いながらも、敬称を付けると自分の気持ちとズレが出るように思える時だ。
しかし、今後は機械的にでも敬称は付けようと思う、例外があるとすれば文脈から最大級の賛辞を贈ってることが伝わるような場合だけにしたい。