違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

『手』は、口ほどにものを言う!

養老孟司先生がこんなことを言っていたのを読んだことがある。

 

「人間の解剖を、たくさんこなしても、"表情のある部分"はどうしても嫌な感じがするので慣れない。

 

一番嫌だったのは『目』と『手』で、腹や内蔵なんて何でもない。」

 

と。

 

目は口ほどにものを言う

 

こんな諺があるところを見ても、昔から目は表情を演出するパーツとして特別扱いされていたし、今でもされているだろう。

 

養老先生は、「なんで、俺は手が嫌なんだろう?」とその理由を自問自答し、こう結論に達した。

 

「そういえば、動いてねえな!」

 

解剖の対象になるのは死体だから、手が動かないのは当たり前だが、これに対して改めて考えないとピンとこないが、生きてる人間の手は常に動いている。

 

人間の体の動いているパーツには表情が宿るとするならば、目と口と手はトップ3だろう。

 

作法が厳密な習い事の世界では、手の作法という様式美があったりしそうだ。

 

調べてみると、"手フェチ"なることばもあるらしいとわかる。

 

 

 

手も、目と同じくらいものを言ってそうだ。

 

意味があるかは不明だが、Google Trendsで「目」、「口」、「手」を比較すると、「目」の圧勝かと思いきや、意外と拮抗してる印象だ。

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表情が宿る集大成とも言えるのが『顔』だが、死体には当然のごとく表情がない。

 

死体ではないが、表情がない顔として能面がある。

 

子供が能面を被ると不気味さが一気に高まる、しかし子供は喜んでいるらしい。

 

 

あるべき表情が見えないと、笑っている子供ですら不気味な存在となる。

 

人間の表情は、世界共通だと言われている。

 

言語や習慣の違いを超えていると言われている。

 

心理学者は、人間の表情の元になる感情である、「怒り」「恐れ」「喜び」「悲しみ」「嫌悪」は、学習によって身につけたものではなく、先天的に持っていると考える人が多い。

 

これらの感情を示す言葉を、Google Trendsで比較すると、

 

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程度の差はあれ、21世紀の日本には「喜び」よりも「怒り」や「悲しみ」が多いことがわかる。

 

そして、そんな感情は、きっと手の表情に現れているだろう。

 

 

きっと、手は口ほどにものを言っている!