楽器の演奏や踊りや演技などの芸事の世界だけでなく、スポーツや勉強の世界でも、
『一日サボったら三日遅れる』
という教えがある。
現代では、この考えは間違っていると知られるようになった。
成長するために最も必要なことは『適度な休息』だと理解されるようになったからだ。
ややこしいのは、『適度』のレベルは個人差が大きいので、未だに指導者が選手を潰すことはよくある。
そのような場合に、現場で起きていることは、
『過ぎたるは及ばざるがごとし』!
体を使って行うことであれば、『過ぎたるは及ばざるがごとし』のどこが良くないかは分かりやすい。
余計に疲れたり、怪我をしたり、体に故障が発生するから。
しかし、一方で『大は小を兼ねる』という考えも根強い。
必要な量以上なものを確保することや、必要な能力以上の能力を確保することは、気持ちに余裕が持てるという効果が得られるが、実質的には保険を掛けてる程度の効果に過ぎない。。
『過ぎたるは及ばざるがごとし』と『大は小を兼ねる』は、それぞれ当てはまる領域が違うことが多いだろうが、両方が当てはまることに情報がある。
そして、情報は権力になる(つながる)。
「ニュースフィードのアルゴリズムが我々の考え方を変え、選挙に影響を及ぼし、国家主義のリーダーを増長させる可能性について、私自身や初期のフェイスブックチームがもっと考えなかったことを悔やんでいる」「マークが自分の考えを変えさせるのではなく、支持してくれるチームで周りを固めていることも心配だ」。ヒューズ氏はそう記している。
私たちの多くは、自分の考えを自分の意思で考えて選択してると思っている。
しかし、情報の多くをデータとして分析できる立場を得ると、違った現実があることが見えているのかもしれない。
情報に関しては、『大は小を兼ねる』と感じる人は多いだろう。
自分が知らないことを、他人が知っているということに対して不満を感じる人は多いはずだ。
情報に関して、『大は小を兼ねる』よりも『過ぎたるは及ばざるがごとし』という価値観を優先させようとすると、誰が発信しているかや、その解釈は誰のものかが価値を持つ。
誰がどうやって調べたデータなのか、どこから持ってきたグラフなのか、何の説明も根拠もない謎のグラフを添えるだけで9000RT。
— Podoro (@podoron) May 10, 2019
まさに「ネット情報」くおりてぃー。 https://t.co/nDhHgeaVdh
情報に価値を与えるのは信憑性だ。
だから、根拠や証拠やエビデンスが求められる。
そんな根拠や証拠やエビデンスの簡易な指標になるのが『誰がもたらした情報か?』、『誰がその情報を解説したか』だ。
現代では情報の出どころとしての『誰』は、重要視されてるにも関わらず、瞬時にあらゆる方向からのポジショントークが展開されるので、多くの人にとっては情報は未だに大は小を兼ねるものに留まってるだろう。
つまり、情報を自分の意思で解釈するのではなく、自分が最も反応しやすい形で情報を切り取る人やメディアに寄って行ってしまう。
日々色んなことを考えているようで、無難な落とし所だけを求めていないだろうか?
大は小を兼ねるようなつもりで情報収集をしている人が、いつの間にか考えない習慣を身につけていたとすると、求めていた無難さから遠ざかり、考えないということが全ての情報を無意味なものにさせているかもしれない。
情報に関しての『過ぎたるは及ばざるがごとし』は、考えないという習慣を通じて浸透して行くが、出回る情報の総量が多いので、考えずに日常を過ごすという現実に気付かずに日々を過ごしているということは知っておいた方が良い。