コロナ禍で、いつの間にか当たり前に感じるようになってきたことが、飲食店の時短営業。
食事や飲食で口を開けることが増える上にコミュニケーションとしての会話がつきものなのでやり玉にあげられるのは当然と言えば当然だが、とばっちりの冤罪にも似ている。
飲食店の中でも、酒がメインになる店舗は影響の深刻度が高いのは、開店時間が遅いことも関係している。
さて、コロナのせいで大きく需要が減少している酒の提供が中心の飲食および接待業だが、潜在的な現象が顕在化しただけではと感じてる。
令和2年3月の時点で国税庁がデータを公表してる酒の需要動向は平成30年のものまでだったので、同じく国税庁が出してる酒レポートの平成30年3月に掲載されてる需要推移のグラフを引用すると。
そして、同じデータだが平成31年3月の酒レポートでは成人人口も表示してのグラフになっていて一人当たりの消費量の推移になっている。
この動きをどう捉えるのが相応しいだろうか?
国税庁は飲酒離れは進んでいないと言いたいのだろうと邪推したくなる。
データは分かりきっているので添付しないが、飲酒を取り巻く事情には喫煙も関係してるのは明らか。
喫煙率の減少ほどではないが、酒の消費量も減少している。
酒が好きな人の消費量が減少するとは考えにくいので、飲酒を好まない人や積極的に控えようとしてる人が喫煙同様増えていると考えた方が的を射てるような気がする。
個人的には、コロナがキッカケで夜の酒が絡む飲食店が苦境に立たされてる背景には、元々イヤだった酒とタバコがある場に行かないことに対して大義名分をコロナが与えたからのような気がする。
さらに拡大解釈して、お付き合いや接待と称した大人の文化とされていたものが実は多くの人から嫌われていたということではないかと感じている。
『No』と言うのが苦手な日本人にとって、『No』を言いやすくしたのがコロナだという気がしてならない。
わたしのように酒もタバコも嫌いな人にとっては、コロナは悪いことばかりではないのだ。
きっと、需要が減少した分野の中には、似たような構造のものが他にもあるはず。
だとしたら、需要が減少した分野の中には、コロナが収束してももう需要は大きな流れとしては戻らないものが多いだろうなと思える。
自殺者の増加や孤独の問題がクローズアップされるが、酒やタバコのようなイヤな人間関係もどんどん断ち切られていくと感じている、だからこそ孤独の問題となるのかもしれない。
コロナのおかげで日本人は『No』を覚えたような気がする。