違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

ウクライナ侵攻に感じるいじめっ子といじめられっ子の関係

昨日、ロシアのウクライナ侵攻に関しては逃げるが勝ちと書いたが、その補足になるような話が流れていた。

 

 

対ロシア戦略として、欧米はウクライナを最初から犠牲にするつもりだったのだ、こう考えると辻褄が合うことが多過ぎるように感じられる。

 

ウクライナ侵攻に対して上記の演習参加国が取った行動は、制裁のためにロシアの金や物資の流れを断つということだった。

 

ウクライナがロシアに対して強気で出ていたのは、バックには欧米が付いていて、いざとなったらいつでも同調すると勘違いさせられていたと思えてくる。

 

 

 

さらに、ロシアに関してもこんな話が流れていた。

 

 

 

今回のウクライナ侵攻は、後の歴史の教科書ではどのように総括されるのだろうか?

 

舞台となってるウクライナや現場に関わってる人々にとっては命をかけた一大事が起きているのに、俯瞰して見るとなぜか壮大な茶番劇なだけにも見える。

 

 

日本人にとってウクライナという国はその成り立ち(1991年に独立)を含めてあまり馴染みがなく、名前を知ってる程度だ。

 

 

EUやNATOにウクライナが加盟できないことには裏がたくさんありそう。

 

今回のウクライナ侵攻に関しては、さまざまな立場でいじめっ子といじめられっ子の関係性が見えてくる。

 

ロシアは論外として、ウクライナをいじめているのはむしろ欧米なのかもしれない。

 

 

思えば不思議なことだが、歴史は繰り返してばかりだ。