違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

近くて遠い自由、遠くて近い自由

考えさせられる記事があった。

 

「習近平やめろ!」「共産党退陣!」 専門家が「天安門事件以来見たことない」と驚く中国のデモ活動 “ゼロコロナ政策”への不満の先にあるものは

 

この記事の中で一番印象的だったのは次の部分。

 

「『習近平やめろ!』『共産党退陣!』といった表現を中国国民が使うのは、天安門事件以来見たことがない」

 

特に印象的だったのは、『自由』と書かれた紙をうつむきながら掲げていた若者の表情でした

 

※天安門事件が起きたのは1989年

 

自由という概念は、持っているか持ってないか、あるいは有るか無いかで議論されることが多いが、中国の場合は、大衆には自由は無さそうでも、大衆から自由を奪う自由が共産党や習近平には有るという対立構図も見える。

 

習近平や共産党が行使する自由は、得よりも損が多い意地なだけにも見える、実際に中国に進出していた海外企業の撤退話をよく聞くようになった。

 

 

翻って日本、おそらくかなり自由はある。

 

束縛ばかりに感じるが、実はかなり自由で、その自由は野放しに近いかもしれない。

 

しかし、自由を活かせる場が有るようで無い(少ない)。

 

日本で自由を縛るのは法律やルールというよりもむしろ空気。

 

その空気は上から押しつけられたというよりも、むしろ大衆側の自縄自縛みたいなもの。

 

結果として、持ってるはずの自由を行使しない日本人は意外と多い。

 

実際の自由が遠い中国では多くの中国人が自由を求めているということは、意識する自由は身近な存在なのだ。

 

実際には自由な国日本では、多くの人が自由は不自由だと感じてる。

 

予定は無いよりあった方が良いと思う人が多そうなことは、ある意味自由を拒否することだと気付いてる人がどのくらいいるだろうか。

 

ついつい正解を求めることも自由から遠ざかる行為だ。

 

暇つぶしに苦労するなんて自由を楽しめてない証拠でもある。

 

想像する自由はストレスのない世界だが、実際に自由を手にしてる日本人の多くはストレスを抱えている。

 

自由を楽しめてる日本人は想像するよりはるかに少ないはずだ。