違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

明日は我が身の発達障害

昨日のGoogle Trendsの急上昇ワードの中に「発達障害」が入っていた。

 

いつの頃からか日常会話の中に入り込むようになったこのワードは、本来の定義と実際の会話の中での使われ方に大きな乖離がある。

 

急上昇ワードとして発達障害が取り上げられたのは子供に対してだが、この言葉は、老若男女に適用可能で、実際の使われ方としては大人に向けられることが多く、特に嫌いな人やイライラするようなことをしてる人に向けた侮蔑の言葉として使われている。

 

 

嫌われるのには大きく二つの場合がある。

 

一つは、実際に嫌われるような迷惑な存在である場合で、もう一つは、周りの許容度が低いことで嫌われてしまう場合だ。

 

空気が読めないいわゆるKYも典型的な該当例だし、失敗やミスをすることで緊張し、緊張することでさらに失敗やミスを繰り返す、このようなことをしがちな人も該当例になるだろう。

 

周りの許容度の低さゆえに嫌われるというのは、別の表現をするなら弱者で、これは明日は我が身でもある。

 

 

だからこそ許容してあげる度量や寛容さが周りに必要なのだが、発達障害という言葉の語感の響きも影響してるだろうが捨て台詞的になりがちだ。

 

GoogleTrendsで検索の推移を見ると、

 

 

グラフの動きが減少に転じていたのはコロナ禍に突入してからなので人と人の接触やコミュニケーションが関係してることが明らか。

 

Wikipediaによると、1963年にアメリカで法律用語として作られ、日本には1970年代に入ってきたらしいが、その定義についてきちんと厚生労働省が検討を始めたのは2005年とある。

 

 

この世には二種類の人がいる、自分は発達障害ではないと思い込んでる人と、自分は発達障害だと思い込んでる人。

 

しかし、自分は発達障害ではないと信じてる人が発達障害でないわけではないし、逆も同様だ。

 

周りの環境の許容度が高ければ、発達障害だとカミングアウトした方が免罪符を得るという意味で楽な場合もあるだろう。

 

 

自分では正義を貫いていると思っている人ほど周りからは「アイツは発達障害だから」と思われている、というケースも少なくないだろう。

 

 

明日は我が身の発達障害、それを回避するためには広い心と寛容さが必要なのだ。