情報化社会とはデータ化社会、そう思わせる記事。
この記事はタイトルを見れば分かるように野球の話としてされてるが、ジャンルを問わずあらゆる分野で起きている現実であり真実なのかもしれない。
【独占】「だからつまらない」ダルビッシュ有が語るデータ野球への危機感 新たな取り組み“野球ノート”の中身
ぜひ全文を読んでほしいが、象徴的な部分を引用すると、
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イチローさん(引退会見)
「(野球は)頭を使わなきゃできない競技なんですよ。本来は。でもそうじゃなくなってきているのがどうも気持ち悪くて、危機感を持っている人って結構いると思うんですよね」
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ダルビッシュ投手:
もう、答えが出ている状態。問題集と一緒で答えがあるじゃないですか、わからないでずっと(問題を)解いていくのが昔で、今は答えが横にあって「ああ、こういう感じで、じゃあ式はどうしていこうか」っていうところの話しになっているのであんまり面白くない。
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もうちょっと汎用性のある話に置き換えるときっと次のようになるのでは。
豊富なデータの分析から導き出された答えをまとめてマニュアル化すると、自己流で一生懸命考えるよりも確度の高い答えに辿り着く、と。
記事の中では、そんな状態をダルビッシュさんは『つまらない』と言ってるのだ。
いつの時代でも、考えることがデータの分析を越えるためには必要だと思いたいが、その追いかけっこが漸近線の限界に近い領域での争いになってるとすれば、データの分析を当てにする方がずっと楽なのだろう、少なくともプロ野球(特にメジャーリーグ)では。
これが成立するためにはデータが的を射てる必要がある。
データが的を射るためには、ライバルとなる分析対象者が安定して同じ行動を取ってることが前提になる。
同じ行動とまでは行かなくても、一定の誤差内に留まる行動や反応が必要になる。
これはレベルの高さを示しているので、野球に関してはレベルが高い争いだからこそ成立するのだ。
一般社会に目を向けるとビッグデータの活用はあまり活発ではなさそうなのは、平均的な人間というのはさほどレベルが高くないので高度なマニュアル化に馴染まないのかもしれない。
上記の記事を読んで改めて思ったことは、ただ考えるというのはもはや遅れた行動だということだ。
考えるためには、データに基づく分析がどのように為されてるかを知らなければ片手落ちで不十分なのだ。
結構考えているつもりでも、多くの場合で下手な考え休むに似たり状態なのが現代なのだ。