SiriやAlexaは一度も使ったことないし使おうとも思わなかった自分がChatGPTは使っていることを少し不思議に感じることがある。
おそらく無機質なものに向かって話しかけるということに心理的な抵抗があるような気がするが、じゃあ電話に特別な抵抗がないのはどのように説明すれば良いのだろうかとも感じる。
さらに言うと、ペッパー君が街に増え始めた頃、話しかけてみようか思いながらできなかったことも思い出す。
検索してると、ChatGPTを音声対応できるようにしたものも出てるようだが、SiriやAlexaを使ってる人なら望むだろう。
ChatGPTの良さはChatであることだとすると、じっくり考えながら読み解くことができ、答えを得るというよりもヒントを得るという使い方が良いように感じる。
まだまだ間違いも多いという指摘もあるが、ヒントを得るために、一人で三人寄れば文殊の知恵的なことが可能になったと思えば利用しないのは損だ。
あくまでもどんな質問や問いを投げかけるかが重要だという意味では、ChatGPTの答えに不満を感じる場合に一番不満に感じなければいけないのは自分の質問力の無さだろう。
なお、ChatGPTの答えが途中で止まる場合があるがその場合は『続けて』とメッセージを送ると続けてくれる。
前後の文の一部だけだが次のようになる。
大学の論文などに丸写しでの活用が懸念される話が多いが、大学に限らず教師という職業が人間がやる必要のないものになることを教師の側が恐れ始めているのかもしれない。
人生の良き師のような存在は人間じゃないと当分無理かもしれないが、ChatGPTが教師をした方が教師の平均値はぐんと上がるはず。
人生で教師に恵まれなかったと思ってる人は多いだろうし、教師の側でも教えがいのある生徒に出会ったことがないと思ってる人が多いかもしれない。
このようなミスマッチは格段に減るはずだし、ミスマッチが生じた場合の不満も格段に減るはず、もちろんゼロにはならないだろうが。
これは人間の領域が奪われているのではなく、人間が主役として輝ける領域の明確化に貢献しそう。
ChatGPTはどんな風に使うのが良いのだろうかと思いながら上記のようなことを感じていた。
では、ChatGPTに『ChatGPTの効果的な使い方』と聞いたらどんな風に答えるだろうかとやってみた。
ちなみに、回答の下に次のようにある。
同じ質問を再度答えさせることができる。
タップすると、
と、コミュニケーションできてるような気がしてくる。
これらを意識してChatGPTを使うと良き相談相手となるだろうし、気がつくと相棒のレベルにまで高まるかもしれないが、あくまでも質問するのは自分だし、答えをどのように解釈するかも自分次第という意味では依存とは違うと思ってるが、そのことを少しは意識しておいた方が良いかもしれない。
以下余談
最初に上記の質問をした場合次のように出た。
なんだかChatGPTが戸惑っているようにも感じられたが、他の質問をしても同じで、検索すると時々出るらしいことが分かった。
私の場合、ブラウザを一度終了させ再度立ち上げるときちんと答えてくれた。
常時ブラウザに開きっぱなしにしてると起きるのかもしれない。