古い曲なのにCityPopはなぜ人気があるか?
この問いに今朝ラジオで山下達郎さんが『ジャンルや洋の東西を問わず聴き続けられる音楽はわかりやすい』と答えていた。
対談形式の番組の一部分で、番組の流れからすると重要でもなくさらりと流していた部分だが妙に記憶に残った。
『わかりやすい』という何ともわかりにくい説明に妙に説得力を感じたのは、以前から山下達郎さんが曲作りで意識することも、自分が好きな曲も『Oidies But Goodies(古くなっても良い曲)』だと言っていたことともリンクしたからだ。
また、古くなっても良い曲だということは時の流れで色褪せないことだから実際には古くならない、ただ作られたのが昔というだけだ、とも言い続けていた。
情報のほとんどがあっという間に時の流れに負けて色褪せてしまう現代だからこそ深い意味が感じられる。
聴いて良かった曲からアーティストやジャンルを知り傾倒するのはわかりやすいが、その曲を知った経緯や出会った経緯は運や偶然の影響も大きいはず、知らないものは検索など自ら探し求めようもないから。
せめてヒントが欲しくなる。
音楽に限らず、時の流れに色褪せることのない情報に如何に出会うか、如何に発掘できるかは従来の検索に依存してると辿り着けないことが増えている。
みんなが辿り着けないなら構わなくても、自分だけが辿り着けてないと感じたら不快感はマックスだ。
運や偶然に頼ることなく求める情報に如何に辿り着くか?
そんな役割を担っているのがSNSと言われる。
SNSを活用することで、他の人は辿り着けなくても自分だけは辿り着ける、そんなことを望む人も多いはず。
オープンなイメージのSNSだが、このパターンに取り憑かれると情報の共有が非常に偏るのでクローズドな環境に閉じこもり騙されることも少なくなくなる。
クローズドな環境に入ってしまうと排他性が出てくる。
限られた利益や富を分配するためならばわかりやすいが、わかりにくい理屈が展開されることも少なくない。
洗脳したり被害者に仕立て上げる場合には、わかりにくい理屈が展開されるが、その場合にはクローズドな環境に取り込まれて逃げようがないかもしれない、使い捨てのコマにされる詐欺の実行役のように。
難しいことや迷いが大きい時ほど『わかりやすいか?』が活路を見出すためには大事な気がする。